ベルリンを感じたのはある写真だった様な、それが何に記載されていたかは、今となってみるとよくわからなくなっているが、そのころそこは、自分にとってノイバイテンであったりクリスチーネFだったりツアイシュトガイストの展覧会であったりしていた。そこにはとってもダークで耽美?退廃?な感が漂っている気がしていたような。そんな記憶から数年、その地に着いた時、時代、季節、なのかもしれないが、やはりその空気の中にいたように感じていた。
9/13/2008
BERLIN
9/12/2008
Captain and Pirate
9/10/2008
Time after Time
Player and Prayer
自身、民族音楽とかが好きで、いままで色んなところで聞いたりしたのですが、プリミティブなものはほとんど祈りでつながっているように感じます。そのせいか、気持ちの中に入りやすくおもいます。まあ音楽そのもの、そういったものかもしれませんが、民族音楽は独特の音階を持つものも多いですね。個人的には、タヒチミュージックやらトルコ、モロッコ、スペインジプシーやらの少し哀愁が入ったものが好きですが、20年以上前、LPレコードだったころ、ジャケットがとてもよくて、ジャケ買いしたものがあって、なんの情報もなく、聞いてみたところ、アメリカ中部あたりの鉄道員が鉄道を引くさいに歌っていた歌のレコードだったことがあります。当然アカペラで、まー、単調でしたが、こういったのも民族音楽でしょうね、日本の茶摘み、田植え唄みたいなものでしょう。いまはもう持っていないので、お見せできませんが、ジャケは本当によかったですね。こういったもの、歳をとると理解でき、ほしくなるものの一つです。
写真は十数年前に最初にあったアボリジニの長老の祈り歌の最中です。
9/09/2008
Dead or Alive
陸路で旅をしていると、名も知らない小さな町をいくつもぬけていったりします。そこで、見るものやら、会うひとなども旅の楽しみであったりしますが、時折、入ったとたん、何だか雰囲気のまずそうな町もありますね。だいたい、昼間でもオープンしているのにしっかりとした、鉄フェンスが窓にかかっている店が多いとか、やたらゴミが散乱してるとか、まあそういった町はさっさと、通り過ぎるのに越したことはないでしょう 。へんに興味をいだいて、うろついても、ろくなことはなく、あとから”ホールドアップされちまったぜー”などと自慢してもかっこわるいばかり、それより、永遠に消えてしまうかも。そういった町は世界中にあると思います。左の写真はヨハネからサンシティーに向かう途中のまち、道にいるのはこんなのばかり、死んでるのか生きているのかわからない人が炎天下40度をこえる中そこらに倒れています。(蝿がたかっています。)自分は戦争フォトジャーナリストでも社会派フォトジャーナリストでもないので、リアルにそれを伝えようとも思いませんが。時々、あまり、見たくないもの、会いたくないものに出会うこともあります。カメラを向けることが、場合によって一種の暴力とも思っている、私は、そんな所に入り込んだときは、戦うほどの強靭な体もないので、さっさと、カメラストラップをまいて逃げますね。まあ、そんなことばかりでなく、とても思いがけない、素晴らしいことに出会ったりもするのですが。