アンコールワットのトップレベルに上がるには、とても急で足場の狭い階段を上がることになります。形ばかりの手すり、結構降りるときのほうが怖く感じます。そんなトップレベルの端に彼は座っていました。
写真を撮っていて、たぶんカンボジア、シュムリアップと聞いて古いひとは、一番知っているのは、やっぱり一ノ瀬泰三でしょうか?、、、そのことに付いて何かのコメントをいうことはあえて言うことをしませんが。世界はどこかで紛争があり、どこかでパーティーです。世界どこでも生活かあり、人々はそこに生きているものだと思います。
そして、そこに生きる人々の気持ち、考えは、やはりそこに生きる人にしかわからないことでもあり、知るということを考えることでしかないのかも?しかしそれは、知るといった一端でしかないのでしよう。それは、我々のように、写真を撮る人間もそこに写るものが、本質であるとは、限らないのでしょう。
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